1-3. 新しい季節

今年もまた、桜が蕾をつけはじめた。
初めて彼女と出会った日から6回目の春。
僕は今、段ボールに荷物を詰め込んでいる。



あの頃の僕は、夢とバイトと、それから彼女と、全てに夢中だった。

気づけば大学生活も残すところ僅かとなった頃。
その時、彼女は既に就職先が決まっていたのに、僕はまだ、夢と現実の間で悩んでいた。

追いかけたい夢がある。
でも、就職という現実が僕を追い詰める。

夜中まで履歴書と格闘してる僕に、彼女はコーヒーを淹れてくれた。
朝起きると、「頑張れ!」と書かれた付箋紙の下に、おにぎりが二つ置いてあったこともある。

なんとか就職も決まると、彼女は自分のことのように喜んでくれた。
「おめでとう!」
そういって彼女は僕にケーキを差し出した。
「お祝いしなくっちゃ」
僕らはうかれて、ワインを空けた。


仕事がはじまると、通勤や、慣れない人間関係や、社会人としての忙しさに、それでも充実した日々を送っていた。
夢も、追い続けていた。

二人で過ごしていた部屋も、いつしか一人で過ごすことが多くなってきた。
この部屋にはほとんど、寝に帰るだけになっていた。

『今度、いつ会える?』

メールをしてくるのは、いつも彼女からだった。
僕はそれに簡単に返信して、彼女が来てくれるのを、この部屋で待つ。

大学生の頃は毎日のように二人で過ごしていたのに、今は週末に1日か2日だけになっていった。
だけど、そんなことに僕は気づいていなかった。

彼女の寂しさにも気づいていなかった。


去年の冬。
仕事の付き合いで飲みに行って帰れなくなった僕は、始発で家に帰った。
こんなのはいつものことで、珍しい事じゃなかった。

フラフラしながら部屋の鍵を開けると、彼女がソファに座っていた。

目の前には手つかずの料理とケーキと、お気に入りのワイン。
僕はちょっと驚きながらも、靴を脱ぎながら彼女に話しかけた。

「来るならメールぐらいくれたらよかったのに」

彼女は「おかえり」と呟いたきり、顔を上げない。

「どうしたの?ケーキ」
僕はネクタイを緩めながら、コートとスーツをハンガーに掛けた。

彼女は僕の顔を見つめて、目を離さない。
僕がネクタイを抜いてハンガーにかけながら何だろうと考えあぐねている間に、彼女の瞳にはみるみる涙がたまっていく。


「……誕生日…だった」
「あ…」

僕はすっかり忘れていた。

『これからは、どんなに忙しくなっても、この日だけは二人で祝おうね!』
満面の笑顔を前に僕は「当然」と笑って約束のキスをした日から、毎年二人で祝った誕生日。

「仕事だったんだよ」

あぁ、いつかドラマで見たことがある気がする、こんなシーン。
大体ここから修羅場になっていくんだよな。
そんなことを思いながらシャツのボタンを開けてソファに座った。

「…そうだよね、ごめん」
「…」
「疲れたでしょう?私、帰るね」
「あぁ…うん…」

思ったよりあっけない彼女の返事に拍子抜けしながら、僕は内心ホッとしていた。
スーツ姿の彼女がコートを着て、鞄を持って、黒いパンプスを履いて、部屋を出た。
そんな姿をただ見ていた。

これが、現実ってやつか。

後ろには残された料理とケーキ。
プレートには「お誕生日おめでとう!」の文字が虚しく飾られていた。

僕はラップに包まれた、冷めきったから揚げをつまんだ。

「…んまい」

ひとり呟いて、ソファに横になった。
誕生日を忘れて修羅場になるなんて、結局僕は何かのドラマの見すぎだろうか。

「誕生日だった」
「仕事だったんだよ」
「…そうだよね、ごめん」
「疲れたでしょう?私、帰るね」

頭の中で会話を繰り返すうちに、僕はハッとした。
どうして僕は謝らなかったんだ。
何で待っていた彼女が謝って、待たせた僕は謝れなかったんだ。

口下手だとか、不器用だとか、そういう問題じゃない。
ミスをしたら謝るなんて、会社では普通にやっている。

付き合いはじめの頃に大きな喧嘩をした時も僕は、変な言い訳をして彼女を傷つけた。
海の見える公園で、ようやく謝った。

あの頃から僕は変わっていない。

夜中にコーヒーを淹れてくれた彼女に「ありがとう」と言ったことあったっけ。
誤解させて「ごめん」って言ったことあったっけ。
悔しいけど思い出せない。

僕はバカだ。

学生の頃から僕を支えてくれて、夢も応援してくれてた彼女に甘えていた。
彼女は僕より、ずっと大人だ。
待たせた僕を気遣って、誕生日も祝わずに「ごめん」と言って帰って行った。

『近々また会えないかな。少しだけでもいいから』

僕から彼女を誘うメールは、いつぶりだろうか。
もしかしたら初めてなんじゃないかと思うぐらい、文字を打つ指に力が入っていた。


その週末、会社の近くの駅で彼女と待ち合わせた。

「ごめん、ちょっと遅れちゃった」
彼女がスーツ姿で走ってきた。

「大丈夫だよ」
「ごめんね」

もう聞きなれたはずの彼女のハイヒールの音が、妙に心地良い。
当然だとは思いつつ、「大学生の頃のデートとは違うよな」と感じていた。

僕らは東京タワーの見えるレストランに入った。

「今日は埋め合わせしてくれるんだ?」
「……いや、そういうんじゃないけど…」
「…タバコ、逆だよ。…ありがとう」

そう笑って、顔にかかった髪を中指と薬指でよけた。
その姿が妙に色っぽく感じた。

食事もひと段落して、しばらく飲みながら話していた時、彼女が言った。

「覚えてる?東京タワーを初めて足もとから見たときのこと」
「あぁ、あの時の…」
僕は思い出しながらワインを一口飲んだ。

「あの時、めちゃくちゃはしゃいでた時に「東京タワーって下から見るとロケットっぽい!」って言い出して」
「そんなこと言ったっけ」
東京タワーを見ながら少し恥ずかしくなった。

「そうだよ!で、私が「東京ロケット!」って言ったら、「ありえねー!」って笑ったよね」
「あー、あった、思い出した。ってか、何だよ、東京ロケットって」
僕は思い出して、つい吹き出した。

「どこまでも飛んで行けそうな気がしてたんだよね、あの頃は…」
「何、どういうこと?」
笑いながら話しかける僕を、彼女が寂しそうな目でみつめた。

「二人一緒なら、どこまででも飛んで行けそうな気がしてた。なんてね、恥ずかしいけど、本気でそう思ってた」
「…」
彼女の口ぶりに、胸騒ぎがする。

「もぅ…無理なのかな…」
「え?」
嫌な予感がした。

「私ね、疲れちゃったみたい」
「…」
「ごめんね…」

テーブルの上に置かれた合鍵。

「あの時、嬉しかったんだよ。「君のいない未来なんて考えられない」って…」
「今でも、そう思ってるよ」
「私なんかいなくても、未来、見えるよ」
「……そんなこと…」
「夢、追いかけてよ。私がいなくても、大丈夫だよ」
「……」
「今まで、ありがとう」

そう言って彼女は席を立った。

「最後ぐらい、奢ってもらうから」と笑った顔には、こぼれ落ちそうな涙を瞳にためていた。

僕は去って行くハイヒールの音と、俯きながら歩く彼女の後ろ姿を、ただ茫然と見送っていた。


何で言えなかったんだろう。

「行かないでくれ」
「僕を一人にしないでくれ」
「これからも一緒にいてほしい」

違う。
これは僕の我儘だ。

「君を一人にしてごめん」
「支えてくれてありがとう」

これも違う。
今更言うようなことじゃない。

「好きだ」
「愛してる」

この二つが素直に言えていたら、もっと違う未来があったのかもしれない。
「大丈夫だよ、これからも一緒だよ」って笑い飛ばせてたら、僕らはまだ一緒だったかもしれない。


学生の頃からずっと一緒だった。
上京してきて初めて付き合った恋人だった。
あれから、彼女と二人で歩いた六角橋を、一人で何度も歩いた。



僕は今、窓から見える桜の蕾を横目に、段ボールに荷物を詰めている。
桜の花びらが舞う頃には、新しい街で今までとは違う景色の桜を見ているだろう。

僕は彼女と過ごしたこの部屋を出て、新しい街で歩きはじめることにした。

二人で過ごした思い出が多すぎるこの街を離れるのは、「本当のさよなら」をしたかったから。

ローズティーを買いに行ったあのお店。
海が見える公園。

この街にいたら、どうしても思い出してしまう。
また彼女と巡り合えないだろうかとか、どうしようもないことを考えてしまう。
懐かしい日々がぼやけて、溶けてだして消えてしまうなら、早くこの街を出ようと思った。

正直、彼女以上に好きになる人なんて現れるか分からない。

だけど、これから好きになる人には、ちゃんと言おう。
「好きだ」と「愛してる」を。

僕は、新しい街で歩きはじめる。
新しい僕になるために。

━★━ この小説はタイトルと同名の曲を元にして作られたものです ━★━